景観・風景
なお,海岸に至るまでの足場が悪いので,充分に注意してお出かけください。
気象庁 | 潮汐・海面水位のデータ 潮位表 枕崎(MAKURAZAKI) (jma.go.jp)
観光パンフレット、バス・列車時刻表、思い出ノート等をご用意しています。
また売店では軽食・お土産品に加え、到着証明書・記念スタンプも取り扱っております。
電動アシストレンタサイクル(2時間500円~)・コインロッカー(300円)・駐車場・トイレございますので、枕崎駅駅舎見物にもご利用ください。
訪れる皆様を枕崎ならではの”おもてなしの心”でお待ちしております。どうぞお気軽にお立寄りください。
小高い丘に建つユニークな木造の美術館
山口長男、海老原喜之助、吉井淳二画伯などの作品のほか、近代美術の公募展「風の芸術展」の絵画や彫刻を展示しています。
観覧料(企画展示を除く)
大人・・・・・・・200円
大学生・高校生・・100円
中学生以下・・・・無料
年間観覧料(年間パスポート)
大人・・・・・・400円
大学生・高校生・・100円
中学生以下・・・・無料
※企画展など、展示会によって料金が異なる場合があります。
-50℃の超低温で保管された鰹は、鮮度を低下させないように低温処理室(18℃)で、素早く冷凍四割割裁、整形(骨取、皮むき)を行います。鰹のタタキ、フィレー等の製造工程を楽しみながらご見学いただけます。
南に広がる東シナ海と島々、東には秀麗な開聞岳を一望できます。遊具広場・ソフトボール場の施設もあり、家族連れやグループなどでにぎわいを見せています。とりわけ春には170本のソメイヨシノ桜が満開となり、公園を訪れる行楽客も年々増えています。
■桜の見頃:3月下旬~4月上旬
■規模:約170本
また6月から見頃を迎える紫陽花は梅雨空の下、いっせいに咲き誇ります。傘を差しながら、雨の中でさらに美しさを増す紫陽花をお楽しみください。
薩摩酒造文化資料館明治蔵は、明治の頃より続く焼酎蔵です。
代々受け継がれた伝統の手造りやカメ壺造りを得意とし、
江戸中期や明治時代の焼酎をはじめ、奥深い「さつま芋焼酎」の復元に成功しています。
さらに、仕込みの作業などを直接現場に入って見学したり、そこでできた焼酎の試飲(無料)も楽しめます。
根強い支持を得ている主力商品「さつま白波」のほか、
明治蔵で造られた“手造り焼酎”江戸の焼酎“蕃薯考”“明治の正中”“さつま白波カメ壺仕込み”も大人気です。
坊野間県立自然公園の表玄関にあたる火之神公園。
雄大な景観は、薩摩半島随一を誇り、正面のさつま富士「開聞岳」と沖にそびえ立つ標高42mの立神岩が印象的で、枕崎の原風景として市民に愛されています。
古事記や日本書記に登場する「山幸彦」が、旅の途中で立ち寄ったとの謂れのある土地で、地名である「火之神」の由来とされています。
付近一帯は、絶好の磯釣りポイントで、夏場は流水プールやキャンプの利用客で賑わいます。
火之神公園に「未来をつむぐ幸せの鐘」が設置されました。
この鐘は、市内有志で結成する「未来をつむぐ幸せの鐘プロジェクト」のメンバー2017年から設置計画を進め、市内の飲食店に募金箱を設置したほか、市内企業、個人からも寄附を募り、設置された新しいスポットです。
鐘の設置場所からは立神岩を臨むことができます。
枕崎の新たな観光スポットへ、ぜひ足をお運びください。
日本本土最南端を走るJR九州指宿枕崎線の始発・終着駅です。
友好交流都市でもある最北端JR北海道宗谷本線稚内駅からのレールは、ここ枕崎駅へたどり着きます。
平成18年に駅前開発に伴い二代目駅舎が解体されましたが、市民や鉄道ファンの惜しむ声が強く、平成25年に三代目駅舎が市民の寄付金等により落成しました。
時を忘れる南国情緒豊かなローカル線の旅をご堪能のうえ、素朴で情緒ある日本最南端の始発・終着駅「枕崎駅」をお訪ねください。
この辺りの開田が成されたとき、付近の門の百姓たちが豊作を願って江戸中期末頃に建てたものと思われますが、現在では有園門の田の神とされ、他の7つの門には、それぞれ丸い石の神体の田の神が保管されています。恐らくここの田の神の分身ではないかと思われます。ここの祭礼は11月初の亥の日で「お月どんもー」といいます。ともあれ田の神は稲作の神で、太古は食飯魂命(うがたまのみこと)と呼ばれ、農民に尊敬された庶民の神でした。
平成元年から始まった現代美術の全国コンクール「風の芸術展」。枕崎市では「風の芸術展」の立体作品を街中に設置し、芸術文化の風薫る魅力的な「青空美術館」として整備しています。個性豊かなアート作品が立ち並ぶ通りをまち歩きしながら、アート作品をお楽しみください。
枕崎市から坊津町に向かう道路の途中にある峠。
ここから東に臨む枕崎の町と海越しに望む開聞岳はまさに一幅の絵。
南さつま街道八景の中でも特に朝日が美しいと言われ、
開聞岳から昇る朝日の光景は幻想的で言葉に表すことができないほどです。
昭和20年、沖縄決戦へと向かう戦艦大和を旗艦とする第二艦隊は、
米軍との死闘の末、200km沖合の東シナ海に撃沈し、3721名の命が失われました。
その供養と平和への願いを込めた展望台です。
映画「男たちの大和」のロケも、近くの海岸で行われました。
地元「わだつみの会」のガイドに耳を傾けると、大和の悲話が鮮烈に心に残ります。
鹿籠の領主であった喜入氏累代の墓。天正6(1578)年、鹿籠の領主となった喜入五代季久から、明治2年版籍を奉還した十九代久博までの墓所。ただし、永吉に移封された六代久道は、永吉で死去したために墓所は永吉にあり、北郷氏(薩摩郡)を継いで途中転出した九代忠長の墓は、この墓地にありません。