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まくらざきってこんな街

位置

鹿児島県薩摩半島の南端に位置する本市は,東は南九州市知覧町,北は南九州市川辺町および南さつま市加世田,西は南さつま市坊津町に接し,南は広大な東シナ海に臨む景勝の地にあり,その形状はほぼ五角形です。

市域は,東西12km,南北10kmで,面積74.78平方キロメートルとなっています。

人口

枕崎市の人口は、23,645人(平成22年10月1日推計)。
北海道・富良野市、長野県・飯山市とほぼ同等。

 

※ちなみに、1年間に枕崎に揚がるカツオ(鮮魚)の数は、人口の約1,100倍!(年間水揚量:約70,000t)人よりもカツオのほうが多いのです。

気候

年間の平均気温は約18℃、年間降水量は平均2,000mmで、年間を通して寒暑の差が少なく温暖で比較的多雨な土地です。夏は気温30℃を超え海風で運ばれる水蒸気により蒸し暑い日がありますが、南国らしい太陽と潮香る風があなたを出迎えます。
直線距離で約50km離れている桜島の降灰はごくごく稀です。

海

市の南に東シナ海に面した海岸線が東西およそ16㎞広がっており、市内東部(薩南海岸自然公園)ではサンゴや貝殻が打ち上がる白砂と夕日のコントラストがお楽しみいただけます。
日本屈指のダイビングポイントが近隣に点在しています。立神岩が見える磯場は良好な釣り場が多く、釣り人に人気ポイントとなっています。また枕崎港は特定第3種漁港として整備され、黒潮が育む栄養豊かな海域に集まるカツオをはじめ青物を中心とした多くの魚が揚がります。

山

北端にある蔵多山(くらたやま、標高475m)を主峰として、東に下山岳と国見岳、西に園見岳や宗前岳などの山々が市の三方に連なり、隣接市との境となっています。
約400年前、蔵多山の南麓・金山(きんざん)地区にある金鉱山は、県下一の金採掘量であったとの記録があります。

川

市の南北を貫き、主峰・蔵多山のはるか奥の水源より流れ入る花渡川(けどがわ)を筆頭に、中洲川、馬追川、金山川、尻無川がゆるやかに東シナ海へと注いでいます。
海に近い花渡川河口付近は潮汐により日々水位が大きく変化し肥沃な干潟を形成しているため、多くの貝類や水鳥に出逢えます。

枕崎市とは
歴史

奈良時代、隣接する坊津は日本三津(港)の“南”の玄関口として大いに栄えたため、ここ枕崎沖にも多くの貿易船が航行したそうです。
南北朝時代に日野邦光中納言が、織豊時代には元左大臣近衛信輔が流謫されてきました。
江戸時代には金の採掘やカツオ漁業でも大いに栄え、幕末には西郷隆盛が流罪の地・奄美大島から戻る途中、ここ枕崎に宿泊したという記録が残っています。
さらに大正~昭和にかけて、近代カツオ漁の祖・原耕(はらこう)氏が南方漁場開拓に奔走し、カツオ漁技術の向上とかつお節生産量日本一となる今日の礎を築きました。
昭和6年、南薩鉄道(現・JR指宿枕崎線)が開通し、北は稚内駅を最北端に、ここ枕崎駅が日本本土最南端の始発・終着駅となりました。

まくらざきのエリア紹介

枕崎市の紹介・枕崎地区・桜山地区・立神地区・別府地区・金山地区 金山地区: 約1,000年前に平家落人が拓いた土地とされ、その名のとおり、県下一位の採掘量を誇った鹿篭金山がある緑多いエリア。 桜山地区: 城山城の城下町として栄えた歴史と文化が残るエリア。県指定文化財・喜入藩主一族の墓、石造りの二重鳥居と木造本社が今も残る南方(みなんかた)神社があります。 立神地区:焼 酎「さつま白波」を製造する蒸溜所をはじめ、夜空を照らす電照菊のビニールハウス群、多くのかつお節工場が立ち並ぶエリア。 枕崎地区: JR指宿枕崎線の始発・終着駅「枕崎駅」、市役所、美術館、港などが集まる市の中心であり、ここに湧き出た泉のおかげで枕崎の街がはじまったと伝えられるエリア。 別府地区: 開聞岳を見据えた広大な茶畑が広がり、全国に先駆けて販売する一番茶「走り新茶」の産地であるほか、園芸やイモ、畜産が盛んなエリア。
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